先日 自分の大切な人と出雲大社に 参拝してきました(^O^)
群馬から車で片道 休み休みで12時間。(>_<)
車の運転は好きなので 全然大丈夫なのだけど 腰が痛かった。(^-^)

2025年7月9日
【大切なもの】
自分の指に、ふと目をやる。 そこには、今年の2月の半ばに、ティファニー銀座で買ったペアリングがある。
今は、それを見ても、何も感じない。 ただ、そこにあることが、あまりにも自然になってしまっている。
心が、傷ついているのだろう。 でも、その痛みさえ、何かが感じさせないようにしている。 ただ、理由もなく、自然と涙だけが出そうになる。
つい先日、8年間付き合った、大切な彼女と別れた。
彼女は、私のことを、誰よりも、一番理解してくれていた人だった。 今まで生きてきて、たった一人の、本当の理解者だったと、今になって、思う。
彼女は、昔、私によくこう言った。 「なぜ、あなたは、自ら不幸を背負いに行くの?」 「なぜ、いつも、そんなに大変なほうへ、進もうとするの?」と。
その言葉の本当の意味を、私は、今、噛み締めている。
私は、この数ヶ月、一つの「冒険」に、全てを捧げてきた。 それは、ウェブサイトという、デジタルな世界で、「本物」を追求する、終わりのない旅だった。
その冒険の引き換えに、私は、最も大切なものを、失ってしまった。
私の周りで起きていること、その本質に、私は気づいてしまう。 周りの誰もが見えていなくても、私には、その先で起こるであろう、最善と最悪が見えてしまう。
そして、気づいてしまえば、見て見ぬ振りができない。 私は、勝手に未来を予測し、常に「最善」を選ぼうとしてしまう。
それが、私の「本質」なのだと思う。 そして、この本質は、きっと、もう変えられない。
彼女が望んでいたのは、もっと穏やかで、もっと側にいてくれる、細やかな優しさだったのだろう。 彼女が望む人には、この本質を持つ私では、きっとなれない。
だとしたら、私は、彼女を幸せにできない。
この、どうしようもない結論にたどり着いた時、私は、彼女の幸せを、心から願うことしかできなかった。 たとえ、その未来に、私がいないとしても。
これが、愛なのだろうか。 私には、まだ、わからない。
ただ、この胸が張り裂けるほどの、哀しい結論を受け入れることが、彼女のために私ができる、唯一の「誠実さ」なのだと思う。
そして、今も、心のどこかで、考えてしまう。
もし、この冒険の先に、本当に「成功」があるのだとしたら。 その時、私の隣で、笑っていてほしいのは、やはり、彼女なのだと。
それは、どうしようもなく、哀しくて、 そして、かけがえのないほどに、大切な気持ちだ。
コメントをお書きください