
国の熱中症対策は、職人への「責任転嫁」ではないか?
— 夏の労働価値を、今こそ問う。現場を知らない机上の空論に、私たちは未来を託せない。 —
2025年6月、職場における熱中症対策のルールが、一部義務化された。「暑さ指数(WBGT)31℃以上では、作業中止を検討する」この指針が、現場で働く人々の命を守るという、非常に大切で、正しい目的を持っていることに、異論はない。
しかし、夏の厳しい環境下で、品質と工期の両立を求められる職人の立場からすれば、このルールは、いくつかの「本質的な課題」を、現場に丸投げしているようにしか見えないのだ。

1. 「仕事にならない」— 誰が、この責任を取るのか?
夏の群馬で、日中の気温が31℃を下回る日が、どれほどあるというのか。このルールを厳格に守れば、私たちの夏は、事実上、仕事にならない。
「作業中止を検討せよ」という、その曖昧な言葉の裏で、工期の遅れ、そして、その日の日当を失う職人の生活、その責任は、一体、誰が取るというのだろうか。国か。元請けか。それとも、また、現場の自己責任で、全てを飲み込めと、そう言うのか。
職人の集中力は、一度途切れれば、そう簡単には戻らない。品質を維持するために、自らの判断で仕事を進めようとすれば、今度は「安全配慮義務違反」を問われる。これは、職人に対し、「命を取るか、生活を取るか」という、究極の選択を迫る、一種の「責任転嫁」に他ならない。
2. 罰則の前に、国が果たすべき「本当の義務」
もし、国が、罰則という強権をもって、このルールを現場に課すのであれば、その前に、果たすべき「本当の義務」があるはずだ。それは、「休ませ方」を議論することではない。「夏の過酷な労働価値を、経済的に、どう評価するのか」という、根本的な議論を、始めることだ。
提案1:労働価値(手間賃)の、年間を通した再評価
もし、夏場の数ヶ月間、仕事ができなくなる、あるいは、大幅に効率が落ちることが、国の定めるルールによって「当然」となるのであれば。職人たちが、年間を通じて、安定した生活を営むためには、仕事ができる他の季節(春や秋)の労働単価そのものを、見直す必要があるはずだ。夏の収入減を、他の季節で補填できるような、新しい価格体系。それこそが、職人の生活と、高い技術力を、年間通じて維持するための、現実的な解決策ではないだろうか。
提案2:労働環境の、根本的な改善策の提示
あるいは、国は、より先進的で、抜本的な解決策を、社会全体で考えるべきなのかもしれない。例えば、建設現場全体を、一時的に巨大なテントやシートで囲い、大型の空調設備で、作業空間そのものを快適な温度に保つ、といった技術。もちろん、それには莫大なコストがかかるだろう。しかし、本当に「安全」と「品質」を両立させようとするならば、そのような、職人の自己管理能力だけに頼らない、環境そのものを変える「本質的な対策」こそ、国が率先して検討し、その導入を支援すべき「未来への投資」ではないだろうか。
3. 結論:私は、未来のために、「価値」を問い続ける
私たち職人は、安全を軽視しているわけではない。むしろ、最高の仕事をするために、誰よりも安全な環境を望んでいる。
しかし、現場の現実から乖離したルールだけを一方的に押し付け、その結果生じる全ての矛盾を、職人の自己責任に帰するような社会であってはならない。
だから、私は、問う。
罰則の前に、まず、本質を問うべきではないのか、と。
そして、職人の「手間」と「命」の価値を、正当に評価すること。
たとえ、誰も議論の席に着かなくとも、私だけは、問い続ける。
それこそが、この国の、そして、この業界の、未来を創るための、唯一、正しい道だと、私は信じているからだ。
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