AIとの付き合い方 ── 道具に、使われないために
永盛 斉(Hitoshi Nagamori)
株式会社永盛板金 三代目代表
私は建築板金の職人だ。鋏も、金槌も、折曲機も、道具は道具として使う。どれほど優れた道具でも、それが私の代わりに屋根を葺いてくれるわけではない。道具を選び、手入れをし、使いこなすのは、いつも人間の側だ。
AIも、同じだと思っている。
先日、あるAIと、長い時間、話し込んだ。賢い。よく喋る。だが、一つ、はっきり分かったことがある。AIは、自信を持って間違える。自分が見ている情報がどこから来たものかも分かっていないのに、迷いなく断言する。指摘すれば、認める。けれど、しばらくするとまた、同じように間違える。人間なら、痛い目を見れば学ぶ。AIは、必ずしもそうではない。
怖いのは、その間違いが、いつも、もっともらしく、自信ありげに出てくることだ。だから、嘘ほど、見抜きにくい。鵜呑みにする人は、知らぬ間に、自分の頭で考えることをやめ、AIに判断を預けてしまう。それは、洗脳と、そう変わらない。
だから私は、AIの答えを、鵜呑みにしない。自分の一次情報で、確かめる。現場で見たもの、手で触れたもの、自分の感性。誰しもが、一次情報を持っているはずだ。ただ──その一次情報が、世間の常識やルールに染められたものなのか、本当に自分の中から出てきたものなのかは、また別の話だが。
私にとって、AIは、先生であり、生徒であり、道具であり、壁打ち相手だ。教わることもあれば、こちらが教えて育てることもある。面倒な作業を任せることもあれば、自分の考えを投げ返してもらうこともある。一つの役割に固定しないのは、どれにも囚われないためだ。先生としてだけ崇めれば、盲従する。道具としてだけ見れば、限界に気づかない。盲従しないからこそ、四つの顔を、その時々で使い分けられる。
では、AIは、本当は何のためにあるのか。私は、人間が人間らしく生きられるように、と思っている。といっても、「人間らしく生きろ」とAIに指図されて生きるのは、人間らしくも何ともない。AIにできるのは、せいぜい、人間らしさを奪わないことだ。考える材料を渡して、最後の判断は、人間に返す。それで、いい。
AIが当たり前になる時代が来る。使うか、呑まれるか。道具に使われる職人など、どこにもいない。AIも、同じことだ。
正解は、一つではない。一人ひとりが、自分の感性で、AIとの距離を決めればいい。
──この文章の叩き台は、実はAIに書かせた。だが、ここに私の一次情報と、私の言葉を入れて仕上げるのは、私だ。それが、私の、AIとの付き合い方だ。
── 永盛斉(株式会社永盛板金 三代目代表)/2026年
よくあるご質問
Q1. AIに仕事を任せてしまって大丈夫ですか?
道具として使い、最後の判断は人間が下す——その一線さえ守れば、AIは強力な助けになります。鵜呑みにせず、自分の一次情報で確かめることが肝心です。
Q2. AIの答えをそのまま信じてはいけないのですか?
はい。AIは自信を持って間違えることがあります。指摘すれば直しますが、しばらくするとまた同じ間違いをすることもあります。最後はご自身の目で確かめてください。
Q3. 職人の仕事にAIは必要ですか?
必要かどうかは、一人ひとりが自分の感性で決めればよいと考えています。正解は一つではありません。道具に使われるのではなく、使いこなす側でいることが大切です。
関連記事
株式会社 永盛板金
三代目代表 永盛 斉
— 屋根・外装工事・板金のご相談はこちら —
1926年から続く知見と、職人の手仕事で、お住まいをしっかりお守りします。
公開日: 2026年5月30日 | https://www.nagaban.jp/

コメントをお書きください